オーナーさんの声

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No1

立てる前に夫婦で議論をつくしたこと

家を立てると考えたときに、まずその家でどう暮らすのか?ということについて妻と互いの意識の確認のための議論をくりかえした。その結果「自分たちが今までのライフスタイルを変えずに暮らしていける家」であり、それは「この先、歳を重ねても陳腐化しないオーセンティックなデザイン」であり、様式として「日本の気候風土で培われてきた生活の道具としての家=日本民家」となって、日本民家の要素として漆喰壁、畳、土間が必要と決めた。

役割分担を決める

家の方向性が定まったあと、家作りの役割分担を決める。自分は若いころ1年ばかり設備関係の会社を手伝って建築現場にも出ていたので、建設施工で陥る問題が現職(広告制作)の業務で起こりうるケースとほとんど変わらないことを承知していた。それを踏まえて自分と妻、建築家、工務店の役割分担を決めた。
まず拙宅を作る上でのクライアント(発注者)は妻であること。理由は簡単で「家内=家に一番長く居る人」であり、彼女が家事という仕事をやりやすく、かつ、余暇をすごしやすい家をつくることが最優先される。そして自分は、20年以上関わってきた現職の経験を生かし、プロデューサーとしてクライアントの要望が予算枠とコンセプトから外れないように工程全体をコントロールする。このことは、後に建築家工務店にもきっちり説明して理解してもらった。

建築家探しに妥協はなし

予算という制約から妥協せざるえない状況が起こるが、その時の取捨選択こそが、家づくりの勘所になる。
だから設計と施工管理の頭脳たる建築家の選出には一切妥協はしないと決めていた。クオリティを落とさず予算枠に収めるためには、知恵とアイディアを絞って施工方法や材料の妥協点を見つけるためには最適な人材が必須だからだ。
建築家選定は、知人、友人の紹介に始まって、ネットでの建築家紹介サービス、雑誌など、おそらくのべ100人近い資料を見たと思う。しかし、なかなか妻と自分の琴線に触れる人には巡り会えなかった。半年以上探しまわったころ、本屋で本著「信州の建築家と作る家」に出会ったのだが、そこに掲載されていた記事の一つに、まさに私たちが求めていた家があった。しかも幸運にもその建築家のオフィスは自宅から1時間ほどの場所にあったので、すぐにアポをとってオフィスへ向かった。
上田のはずれの林檎畑の中を進み、建築家のオフィスが見えた時、まさにそれが自分達の求めている家!と感激したのを覚えている。助手席の妻もまったく同じように感じており、オフィスに通されて30分ほど話をしたが、妻も私も、すでに気持ちはほぼ固まっており、オフィスで話をして人柄を確かめただけといってよかった。 オフィスを後にした帰り道の車中で、妻と互いに異存がないことを確認し、自宅に着き次第、電話で設計を依頼した。それが安藤氏だった。

デザインコンセプトとポリシーを決める

設計を依頼したあと、建物の話だけでなく、自分達の生活観、人生観、好きな物、嫌いな物、などを織り交ぜて建築家と一緒に設計の核となるコンセプトのブレストを繰り返した。その結果のデザインコンセプトは、「過去の自分達のライフスタイルが反映されていて竣工がスタートの家」言い換えれば「この家で生まれ育ったと言えるような佇まいを持つ家」。あわせてコスト配分のポリシーも決めた。道具として核となる基礎や構造部分には一切妥協せず100年持つもの。逆にディティールに関わる部分は、耐久消費財と考えて実用本意で10年もてばいいと割り切った。

設計

設計開始後もほぼ隔週で打ち合わせを繰り返し、クライアントたる妻の要望を細かく落とし込んでいく。もちろん予算の制約があり、希望をすべてを叶えられないから、駄目な場合は上記コンセプトとポリシーをふまえて予算範囲に収まるような代案を建築家には提示してもらったし、妻にも代替え希望を求めた。そんな細かい打ち合わせをしたからか、設計開始から完了まで8ヶ月もかかってしまったけれど、この部分がしっかりやっておいたおかげで後々現場合わせになる部分が少なくすんだのは間違いない。

01

家作りに参加するということ

予算の制約で古民家の移築を断念したものの、古民家の柱や梁、建具などの古材をリユースして建てることにしたから、古材の調達は建築家と一緒に新潟や千葉の古材店を何回も回った。倉庫に山のように積み上げられた古材の山から、自分たちの目と手足で探しものを見つけるのは、ハウジングメーカーで建具や部材のカタログから選ぶのとは違って、まるで宝探しのような楽しさがあったし、自分の家作りに参加している実感に溢れていた。
また、昨今、形骸化していると省略する人が増えている地鎮祭や上棟式も、すべて執り行った。そのしきたりを通して、現場の大工さんや現場監督とコミュニケーションをとりたかったし、竣工という目標の共有もできたと思う。この共有目標の土台があってこそ、お昼やお茶の時間に現場に差し入れを持っていった時に、大工さんや現場監督と同じ目線で家作りの話や、現場の様子を聞くことができたと思う。
工事の進捗以外だけでなく「昨日、近所のお年寄りが訪ねてきましたよ」とか「朝方、猿が2頭来てました」とか、「暑い日でも東西の風抜けがいいから、思ったより湿気ないですよ」とか。その場所に暮らすためには必要な情報をたくさんいただけたし、現場監督、大工の棟梁をはじめとして、塗装屋さんに至まで施工に関わるスタッフが自分達の仕事として恥ずかしくない良い仕事をするという心意気がひしひしと実感できたのも嬉しかった。

建て終わって暮らしてみて思うこと

竣工後の引き渡しで感じたのは、この日をもって建築家をはじめとした家造りのチームが解散し、長い祭りが終わったような寂しさだった。仕事ならば、また同じような仕事を作ってチームを編成すれば再会できるけれど、プライベートな家造りとなると、そうはいかないのが残念だった。
暮らしはじめてみると、案の定、あれだけ熟考したつもりでも、やはり細かいところの見落としや選択・判断ミスに気づかされるのだけれど、私は、それは次の楽しみだと思っている。スイッチや窓などのディティールは、いつでも、なんとでもなるし、構造に関わる部分でも伝統工法では自在に柱や梁を継ぐことができるから。あとは、いつやるか考えればいいだけで、やる時には、またあの楽しい時間を体験できると思うと、ワクワクしてしまう(笑)。当初のコンセプトどおり、私たち夫婦の家造りは、まだ最初のシーズンを終えただけだから、これからも続けていくと思う。


No2

01

住まい手からのメッセージ

家を建てることを決意してから、友人の家を見せていただいたり、モデルハウスを見てまわったりしましたが、いまひとつピンとくる感じがありませんでした。なぜなのか、その頃は自分でもよくわかりませんでした。
そんな時、仕事関係の友人から、古民家を素敵にリフォームしている設計士さんを知っていると紹介していただき、方向が見えてくるかもと思い、話をうかがうことになりました。
当初は家のこと以外にも、土地の購入や予算の不安など、心配なことがたくさんありました。しかし家を建てたい理由から始まって、仕事や趣味の話、育った家のことまで設計士さんと幅広く話をしていくうちに、自分の望んでいる家の輪郭が見えてきて、同時に不安も解消されてきたように思います。また、大工さんと直接話をしたり、木材を見せていただいたりしたことも安心できるポイントだったと思います。
完成してみると、小さな家の中は、自分が大切にしてきたこと、大切にしていきたいと思っていることで満たされた空間ができていました。
これからゆっくりこの家の良さを味わい、年月を重ねるほど味わい深い家になるような住まい方をしたいなあと思っています。


TOPIC

信州の建築家とつくる家 第13集

「KURA]4月号

「あるしてくと」第2集

「民家の再生」第2集

「あるしてくと」創刊号

 

KURA「信州に住む」

社会派建築宣言

信州の建築家とつくる家 第9集

KURA信州に住む

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チルチンびと68号

 

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